朝ドラ『ばけばけ』で注目を集める島根県松江市。
その舞台のひとつに、小泉八雲が実際に暮らした場所がいくつも点在していることをご存じでしょうか。
■第2回:富田旅館からの引越し先跡地
前回に続き、今回は松江市史料調査課のXの投稿にある「織原万次郎家の離れ座敷」跡地 を訪ねます。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が富田旅館を離れて次に暮らした場所は、織原万次郎家 の離れでした。織原氏は松江電灯株式会社の創業に携わり、のちに松江商工会議所会頭を務めた人物です。
史料調査課Xの投稿によれば、位置は国土地理院地図の通りで、旧居へ抜ける小道も残っています。小道の先は宍道湖へと通じており、当時は洗い場だったそうです。
八雲が見たであろう水辺の営みを今に想像させる貴重な痕跡です。
*写真の石灯籠の左にある駐車場から2~3軒目あたり。
■現在は老舗旅館・皆美館の隣接地へ
この場所は現在、松江を代表する老舗旅館のひとつ 皆美館(みなみかん) のすぐ近く、敷地の東側あたりに位置しています。
皆美館の前に広がる 宍道湖(しんじこ) は、松江を象徴する水辺のひとつです。
特にこの付近は大橋川から宍道湖へと水面がゆるやかに広がっていく場所で、季節ごとに湖面の色が変わり、朝夕の光の移り変わりは格別です。
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朝の湖面は乳白色と薄藍が混ざり合う静寂の風景
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夕暮れには、橙から紫へと移ろう“宍道湖夕景”が街を包む
織原家の離れに滞在していた八雲も、きっとこの湖の「音」「風」「光」を毎日のように感じ取っていたはずです。
前回の記事では、松江の街構造を
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橋北=武士の居住区
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橋南=大橋川たもとの“水運の町屋街”
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さらに南=寺町・雑賀町の足軽・寺院エリア
と整理しました。
実はこの“水辺を活かした町屋街”という景観は、弊社の本社がある東京・赤坂の 赤坂見附~溜池山王 周辺とも重なる部分があります。江戸時代、水道整備の一環で溜池が造成されて以来、この一帯でも水辺を活かした町割りが生まれ、賑わったようです。
水辺が街をつくる――この普遍的な構図は、松江と東京でも共通点を持ちますね。












