JR中央・総武緩行線「大久保駅」に不動産の調査で参りました。
今回の調査物件の所在地は百人町1丁目です。
このエリアは百人組同心大繩地だったようです。
鉄砲組の同心がまさに百人で組になっていたようで、同じ組に属するものはまとまって屋敷を与えられており、これが大繩地と言われていたようです。
https://www.city.shinjuku.lg.jp/content/000033487.pdf
また百人組をもう少し紐解きますと、
このことから百人組は、備に配される通常の鉄砲組とは異なり、高い火力を有した独立部隊として編成されたと考えられる。 また徳川家康は、江戸城が万一落ちた場合、内藤新宿から甲州街道を通り、八王子を経て甲斐の甲府城に逃れるという構想を立てていた。鉄砲百人組とは、その非常時に動員される鉄砲隊のことであり、四谷や内藤新宿周辺に配されたという。
確かに内藤新宿(新宿御苑辺り)を起点として大繩地が配置されています。
百人町の大繩地も非常時を想定した江戸の都市計画による配置だったのですね!
現代では将軍の避難という視点とはなりませんが、非常時の備えについては改めて考えるきかっけになりました。