土地の古と今(溜池山王)

 東京メトロ銀座線「溜池山王駅」に不動産調査で参りました。

今回の調査物件の所在地は赤坂2丁目です。

このエリアは徳川家康の次男結城秀康を家祖とする松平大和守家の預かり地で紺屋干場になっていたようです。紺屋はいわゆる染物屋ですが、当時はすぐ目の前が溜池となっていた為、染物の干場となっていたのですね。

溜池を紐解いてみますと、

溜池はその名のとおり、人が水を溜めてつくったもので、慶長11年(1606)ごろできました。大名の浅野幸長(よしなが)(当時和歌山藩のち広島藩主)が家康にとりいって、江戸城防備の外堀の一環とするとともに、飲料用の上水ダムとしてつくった人口の湖なのです。今の不忍池以上の大きさがありました。

溜池は、水質もよく、風景も美しく、浮世絵などによく描かれました。琵琶湖や淀川からわざわざ鯉や鮒を取り寄せて放したという話もあり、蓮を植えてその花を鑑賞し蓮根を採取したといいます。

やがて周囲がだんだん埋め立てられて、町屋や馬場・紺屋物干場などができ、水質も悪くなったようで、明治7、8年ごろ堰堤(えんてい)となっていた石を取り除いてから陸化しはじめ、渡し舟ができ橋をかけて、明治21年に赤坂溜池町ができました。今では名残の溝川(どぶがわ)も失われて、住居表示の赤坂となりました。

港区ホームページ/溜池(ためいけ) (city.minato.tokyo.jp)

浮世絵にも描かれていたことから当時の溜池沿いは親水の場だったのでしょうね。

ちなみに溜池山王という地名は溜池と溜池越しにある山王さんで親しまれている日吉山王大権現社(現在の日枝神社)の山王を合わせたのが由来のようです。

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