土地の古と今(浅草)

 つくばエクスプレス「浅草駅」に不動産調査で参りました。

今回の調査物件の所在地は浅草3丁目です。

このエリアは村や田だったようですが当時から千束通りはあったようで、浅草寺裏からその北西側千束にある吉原遊郭への通り道の一つでもあったようです。

江戸時代、浅草寺の北西部がほとんど田圃で、千束分の稲が収穫できるという意味で千束の地名となりました。
大正初期には千束田圃が埋め立てられ、昭和初期にはバスも通るようになりました。
遊廓・吉原への通い道として大いに賑わい、浅草十二階や公園六区の映画館、芝居小屋へ通う人々で毎日が縁日のようでした。
公園六区~橋場・今戸をつなぐ主要幹線道路になり、現在は「奥浅草」と呼ばれ、古き良き浅草を知る浅草通に親しまれています。

浅草 千束通り商店街 (senzokudori.com)

吉原遊郭までの道のりをご案内いたします。|太田記念美術館 (note.jp)

現在は奥浅草とも呼ばれているようで、インバウンドが盛り返してきたこともあり、浅草寺~花やしき~ひさご通りから千束通りに至る流れは、海外の方には浅草の情緒を更に感じ入る場所となるのかもしれませんね。

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