土地の「古」と「今」 -米子市東福原-           ~チンチン電車と競馬場があった皆生温泉~

 弊社サテライトオフィス(島根県松江市)にて、相続不動産についてご相談をいただきました。
その現況確認や法令関係調査のため、隣接する鳥取県米子市東福原を訪れました。
米子市東福原までは松江市から高速道路を使いますと40分程度。
現在の東福原は国道や県道沿いにロードサイド店舗が建ち並び、その間に住宅地が広がっています。
少し視野を広げれば、大山、日本海、弓ヶ浜、皆生温泉があり、米子鬼太郎空港へも近いなど、地方都市としては自然環境と交通利便性のバランスが取れたエリアです。
なかでも今回の対象地から車で5分程度のところにあるのが、山陰を代表する温泉地のひとつ「皆生温泉」です。
この皆生温泉、少し調べてみるとなかなか面白い歴史を持っています。

皆生温泉は「計画して造られた街」だった

米子市の資料によると、皆生温泉の本格的な開発を進めたのが有本松太郎です。
有本が目指したのは、単に温泉旅館を造るだけではなく、都市計画を含めた一大温泉郷でした。
その構想を具体化するため、当時、国立公園・公園計画の第一人者であった内務省技師・折下吉延に依頼し、大正10年(1921年)に作製されたのが「皆生温泉市街地設計図」です。米子市によれば、この設計図はその後の街路、市街区画、電車線など都市計画の骨組みとなったもの。今から100年以上前に、現在につながる温泉都市の姿が計画されていたことになります。
市指定有形文化財 皆生温泉市街地設計図/米子市ホームページ
19932.pdf 「ふるさと米子/米子市立図書館」

米子の街から皆生温泉へ「チンチン電車」

そして大正14年(1925年)。
米子市の歴史年表には「角盤町―皆生間に電車運転がはじまる」と記録されています。
米子歴史年表/米子市ホームページ
今なら米子市街から皆生温泉へ向かう交通手段といえば車やバスですが、当時は街と温泉を結ぶ電車が走っていました。
温泉へ向かってチンチン電車が走る風景。
現在の東福原や皆生周辺からは、なかなか想像できません。
kaikepress_vol28_1224s 「カイケプレス Vol28」


皆生には競馬場もあった

さらに皆生には、かつて競馬場もありました。
「広報よなご2020年4月号/米子市」
米子市立図書館所蔵の馬に関する郷土資料【2月展示】 | レファレンス協同データベース

温泉、海水浴、電車、そして競馬場。
現在は落ち着いた温泉街という印象の強い皆生ですが、大正から昭和にかけては、米子の人々が集まる一大レジャーエリアとしての顔も持っていたようです。
今回の対象地である東福原は、その皆生温泉の南側に位置します。
今では東福原から皆生まで住宅や店舗が連続し、一つの市街地のように見えます。
しかし少し昔の資料を辿ってみると、そこには今とはまったく違った街の風景が見えてきます。
不動産の調査では、登記や道路、用途地域など「現在の土地」を調べることが中心になります。
ただ、その土地の周辺を少し遡ってみると、
「この周辺には電車が走っていた時代があった」
「すぐ先には競馬場まであった」
そんな意外な土地の表情が見つかることがあります。
普段何気なく通っている街にも、現在の景色からは想像できない時間が積み重なっています。

 

 

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